2003年8月下旬某日、イヴェント開催の打ち合わせで、六本木のとあるSoul Barで、現在は閉店したClub VERTUSHKAの 責任者と待ち合わせをした。オーガナイズするのは99年の「Funkamfer Night(ファンカンフルナイト)」以来4年ぶりだ。
奇しくも、当日はあのマハラジャがリニュアルオープン(場所は変わり瀬里奈隣)で、六本木駅 から出て交差点に進むと、30代のバブル時代を謳歌した女性群の列が六本木交差点を曲がり、 溜池方面にまで伸びおよそ500mあろうかと続いている。長蛇の列は、超有名ラーメン店の出店 とも全台解放パチンコ屋オープンとも明らかに違い、異様な空気を放っていた。
マハラジャ(東京の1号店)オープンは確か84年で、Discoは一時の勢力が衰え、模索し始めていた 時期でもあった。当時のDiscoは、その街の一等地に店を構えており、六本木の場合スクエアビルを 中心にその殆どが駅から徒歩10分以内の場所だった。にも関わらず麻布十番(現六本木ヒルズあたり)の 周辺には駅もない(まだ大江戸線は未開通)辺鄙な場所に出来、お立ち台の社会現象を生み出し、 短期間で数店舗の支店を次々に出店し。瞬く間にDiscoの頂点に上り詰めた。かかる曲と言えば、 デジタルテクノロジーの寵児として生まれたハイエナ・ユーロ全開で、物見遊山で覗いた私は「違う世界」に 圧倒され、強烈な違和感を感じたのを憶えている。
スラップ(チョッパー)ベースが唸り、ホーンが炸裂し、ヴォーカルが奇声をあげる王道Funkは
鳴りを潜め、84年頃からFunkは衰退期に入り、進化についていけないグループは時代に埋没していった。
…と思っていたが、それはチャートアクションに現れ、メディアに取り上げられる上位部分の話で、
実際はひっそりと確実な量はりリースされていた。
当時の情報不足と探究心のなさからそれらの音源を聴くこともなく「Funkは終わった!」と勘違いし
居場所を失った喪失感からか83年に現役DJを辞め、バーフライのようにフラフラしていた私は、酒と
安易な交渉で一晩楽しく過ごせる娘が多くいると噂される店ばかりに出入りするようになり、86年頃から全くレコードも買わなくなってしまった。(全部飲み代につぎ込み買えないと言った方が正しい・笑)
更には、80年代は若かったせいもあり、強烈なインパクトを持つ王道Funkの洗礼を受けてしまったせいで、
耳も80年代中後期の音に馴染めなかった。
現に当時聴いた52nd Streetは最近までSOS Bandのアルバムだと思っていた(恥爆)SOSの音にもそれほど興味もなかったし…。
90年代後期、80'sを十数年ぶりに聴くようになり、オヤジになったせいかドFunkしか受け付けなかったカラダにも変化が現れ、NY Soundやガラージ、ミッドダンサーやスロージャムにも反応できるようになった。
80年代中期からはハイエナ〜ユーロ〜テクノ〜トランスへと変化していったジャンルがDance Musicのメイン
になっていったのは紛れもない事実だが、終わったと勘違いしていた80年代後半にも、ソウルマナーに則った
名曲や土の匂いがするファンクがたくさん存在することも知った。
「80年代を再現する」と銘打ったソウルやダンクライヴェントはDisco全盛期の83年頃までの曲をかける内容が多く、80's中後期はハイエナ・ユーロが「再現するイヴェント」になっている。
当時そこから逃げだしてしまったが、ネット情報力により新たな可能性を感じ、自戒の念も込め、80's中後期
にまで広げ黒い音を中心に、また通常のダンクライヴェントやダンクラ箱で常時かからない曲にスポットをあてる
「Club530※」をイヴェントとして開催しようと決意した。
※2003〜2004年にかけて、通算16回ほど開催し、2004年4月を最後に終焉。